としま愛とみんなとの絆を力に、 サステイナブルな まちづくりへ挑戦【前篇】
OVERTURE
豊島区ならではの「文化」を軸としたまちづくりを進めてきた高野之夫区長。区が掲げる「国際アート・カルチャー都市」構想は、まちの姿を大きく変え、2020年には「SDGs未来都市」「自治体SDGsモデル事業」に東京都で初めて、ダブル選定されました。改革の陣頭指揮をとられた高野区長に、としまへの「愛」について伺いました。
Profile
高野 之夫
Yukio TAKANO
幼少期から豊島区で生まれ育つ。豊島区議会議員、東京都議会議員を経て、1999年に区長に就任。以降、行財政改革や文化を軸にしたまちづくりに取り組み、持続発展都市の実現に向けて貢献を果たしている。
ピンチをチャンスに!――。
高野区長が取り組んできた改革を語るうえで、この言葉は欠かせません。数々の施策によって財政破綻の危機を乗り越えただけでなく、2014年に「消滅可能性都市」(※)の指摘を受けてからは女性や子どもにやさしいまちづくりなどを進め、2020年には内閣府のSDGs未来都市に選定。見事「V字回復」を果たしました。
としまのために尽力してきた理由は、「としま愛」にほかならないと高野区長は語ります。
高野 「終戦が決まった小学1年生の頃、豊島区は約7割が消失していた状況でした。校庭に出ると周りのほとんどが焼け野原になっていて、遠くまで見渡せたことを覚えています。しかし、みんなが絶望していたわけではありません。当時の池袋では闇市が開かれていましたが、そこには必死に生きようとする『人々のエネルギー』で溢れていました。その後、中学・高校・大学時代を過ごす中で、まちは着実に復興を遂げていったんです。地域の移り変わりとともに歩んできた経験が、『としま愛』につながっています」
高野区長が取り組んできた改革を語るうえで、この言葉は欠かせません。数々の施策によって財政破綻の危機を乗り越えただけでなく、2014年に「消滅可能性都市」(※)の指摘を受けてからは女性や子どもにやさしいまちづくりなどを進め、2020年には内閣府のSDGs未来都市に選定。見事「V字回復」を果たしました。
としまのために尽力してきた理由は、「としま愛」にほかならないと高野区長は語ります。
高野 「終戦が決まった小学1年生の頃、豊島区は約7割が消失していた状況でした。校庭に出ると周りのほとんどが焼け野原になっていて、遠くまで見渡せたことを覚えています。しかし、みんなが絶望していたわけではありません。当時の池袋では闇市が開かれていましたが、そこには必死に生きようとする『人々のエネルギー』で溢れていました。その後、中学・高校・大学時代を過ごす中で、まちは着実に復興を遂げていったんです。地域の移り変わりとともに歩んできた経験が、『としま愛』につながっています」
高野区長は大学卒業後、家業を継いで古本屋を経営。「日本一の古本屋」を目指して奮闘を続けるなかで、次第に地域の仲間とまちについて話し合うことが多くなっていったそうです。
高野 「生まれ育った豊島区を良いまちにしたいという思いは、当時から人一倍ありました。ところが世間では、『汚い・怖い・暗い』というマイナスなイメージが定着していて、良い面に気付いてもらえない。そこで、こうしたまちのイメージを払しょくし、豊島区を文化と品格のある文化都市にしたいという思いから、45歳で一念発起して政治の道に進んだんです」
それから区議会・都議会議員を経験し、1999年に区長に就任。困難に向き合いながらも『としま愛』を忘れず、改革に挑みつづけています。
高野 「長年の目標を少しずつ叶え、みんなが期待を寄せて応援してくれる。今の環境は非常に幸せですし、面白い!と心を動かされることばかりです」
そう言って笑う高野区長の表情はとても穏やかで、「ピンチをチャンス」に変えてきた胆力がにじんでいました。
→ 後篇では、豊島区のまちづくりの根幹である文化や、今後の展望について伺います。
※民間有識者組織「日本創成会議」による発表。2010年から2040年にかけて20~39歳の女性人口が50%以上減少すると推計された自治体が指摘された。
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